「捜査の違法」
北海道新聞に次の見出しの記事が掲載された。
「捜査の違法」、とりわけ取調べの違法を国家賠償訴訟で問うケースで、具体的な取調べの態様が明らかにされる。
しかし、いかにひどい取調べだったかを詳細かつ具体的に訴えても、受忍限度の範囲内とされることが多い。
このブログでも取り上げた宇和島誤認逮捕事件でも、そうだった。虚偽自白をしたのに、取調べは違法でないとされたのである。
本件も同じか、という印象である。
以下、個人的な雑感ですが…
裁判官でも刑事事件を担当しておれば取調べ状況について接する機会がある(とは言っても本格的に取調べ状況が問題になるケースを担当する機会は少ないだろう)が、そうでなければ、勾留請求があったときに勾留質問をするという形で被疑者と接するケースがほとんどであり、勾留質問時以外に被疑者と会話をすることはない。もとより、犯罪を犯して厳しい取り調べを受けた経験のある裁判官はいないだろう。
犯罪を犯して厳しい取り調べを受けた経験のある人には限りがある。
それ故、通常は、取調べ状況などおよそ分からない。密室の中は別世界である。裁判官にとっても取調室という密室は別世界であろう。
しかし、密室の中で行われているのは単なる私人のひそひそ話という類のものではない。捜査権という公権力が具体的に行使されている場である。公権力が国民に見えることのない場で行使されているのである。適正手続のもとで適法に公権力が行使されているかどうか、これがチェックされなければならないというのは現代法の基本、基礎ではないのか。だからこそ、密室の中で何が起こっているのかが分からなければならない。捜査が円滑に行われることも重要であるが、その事が行き過ぎた捜査を許すための根拠になってはいけない。
駄目なものは駄目なのである。
法的に「駄目なもの駄目である」ことを明らかにできるのは裁判所であり、裁判を担う裁判官だけである。憲法76条3項は司法権を担う裁判官について「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」という。この規定は、無知を自覚しないところに健全なバランス感覚にもとづく法的判断はあり得ないとの考えを根底においている。裁判所、裁判を担う裁判官が捜査権の行使に対し、健全なバランス感覚を発揮して、司法的抑制をすることが極めて重要ではないか。とりわけ取調べの違法を問う国家賠償請求の場面では、健全なバランス感覚を失いこれを麻痺させてしまう、一種の思考停止に陥ることがあってはならない。
密室で行われる取調べの全過程を録画・録音することにより、適正手続のもと適法に捜査が行われることが担保されるとともに、事後的に検証可能とすることで行き過ぎがないかどうかをチェックできる。取調べの可視化を制度として確立し・定着させなければならない。この方法以外に、裁判所、裁判を担う裁判官をはじめ国民が健全なバランス感覚を取り戻すことはできない。
取調べ受忍義務を認めるというのが通説的見解である。しかし、個人的には、この取調べ受忍義務を認める考えでは、黙秘権(憲法38条)を効果的に行使できないと思う。弁護人依頼権も同様である。
現実の取調室という密室で生起している事実、そのつまびらかな実態を知ることなしに、取調べ受忍義務を認めることが黙秘権や弁護人依頼権の効果的行使を妨げるという主張を排斥することはできない。
否、知れば知るほど、その主張は確かな説得力があるものとなろう。その限りで、米国のミランダルールは正しいと言わなければならないが、とにかく、取調べ全過程の録画・録音による可視化により、現実の取調室という密室で起こっている事態が明らかになるようにしなければならないのである。
今が目覚めの時である。
百聞は一見にしかず
早期に、取調べの実態が白日の下に曝され、裁判の場で検証される日が来ることを望みたい。
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検事取り調べを録画 東京地検で試行 裁判員制度に対応
検事取り調べを録画 東京地検で試行 裁判員制度に対応 朝日新聞2006年5月9日夕刊15面
検事の取調べを録画して、裁判に使用するそうです。
不当…