警察官、あるいは検察官。一線の捜査に携わる取調官にすばらしい人格・能力を持つ人が多いことは疑いがない。
彼らは、証拠を丹念に調べ、取調べに臨んでいるであろう。頑迷に不合理な嘘の否認をする被疑者に対し、淡々と語りかけ、その供述の矛盾をつき、証拠との矛盾をつき、次第に嘘の否認が通らないことをを判らせて行くであろう。決して、取調室で大声を上げることもなければ、机を叩くこともない。被疑者が言いもしないことを作文する必要もない。
また、彼らは、被疑者の言葉に真摯に耳を傾けながら、それが嘘の否認なのか、真の否認なのかを、虚心坦懐に見極めようとしているはずである。
彼らは、取調室でビデオが回っていても、決して気にしないはずである。自分の取調べに自信を持ち、何一つ隠すことはないとの自信を持っているからだ。
しかし、残念ながら、そうでない取調官が多くいることも悲しい現実である。
彼らは、自らの思い込みにこだわり続ける。被疑者が否認をすれば、自分の思い込みを前提に、嘘の否認であると決めつける。否認を続ければ、大声で怒鳴り、机を叩き、時として暴行を振るう。被疑者が言ってもいないことを作文し、机の上に仁王立ちになって、被疑者を威嚇した検察官さえいたという。
彼らには、被疑者の否認が、真の否認か、嘘の否認かという議論はない。自らの予断に反する否認は、すべて嘘の否認だからである。とにかく否認を自白に転じさせること、取調官の作文した調書にサインをさせること、これこそが「真相解明」である。
ちなみに、女性の被疑者にわいせつ行為を働いたという取調官が、大阪と東京で立て続けに検挙されたのも記憶に新しい。
可視化のない取調室は、無能な取調官を守る牙城である。どんなに無能であっても、密室さえあれば、いくらでも自白強要と作文という名の「真相解明」は可能である。その意味で、彼らにとって、取調室という密室は聖域である。その聖域をビデオで覗かれるなど、とんでもないであろう。
取調べの可視化に反対する人たちは、決してそのような無能な取調官を守ろうとしている訳ではないと信じたい。しかし、少なくとも、結果としてそうなっていること、これは紛れもない真実である。
文責・秋田真志








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